じゃない城(35) 史上最後のお城? 園部城

アクセス:JR山陰本線 園部駅から徒歩20分

皆さんこんばんは Okkapiki(おかっぴき)です。今日は京都府南丹市にある園部城をご紹介します。このお城、城主は小出氏 (秀吉の親族で大名化した)で1619年に但馬の出石から国替えで園部にやって来た外様大名です。園部入封後、江戸時代250年を通じて国替えは無かったのですが、2万7千石の無城主格大名なので天守はおろか櫓さえも建てられず、ずっと陣屋でした。幕末1867年になって、ようやく念願叶い城郭建築許可が下り、築城を計画するも翌年には大政奉還となり、許可は反故となります。しかしここで諦めず、今度は明治新政府から再度許可を得て、明治2年(1869年)8月ようやく悲願のお城が完成しました。ところが明治4年(1871年)廃藩置県により、たったの2年で廃城となってしまいます。このように複雑な経緯を経て明治時代に出来たお城なので、日本城郭史上最後のお城では?と言われています。

ここでふと疑問に思うのですが、仮に廃藩置県は予想できなかったとしても、この時代に日本風の近世城郭は時代にそぐわないと思わなかったのでしょうか。それと幕末には、ほとんどの藩が財政破綻寸前なのに、よく新城を築城できたなと感心します。園部藩の財政は潤っていたのでしょうか?あるいは250年に及ぶ先祖代々の悲願を実現させねば、と言う執念にただただ突き動かされた結果なのでしょうか。

では、この日本史上最後のお城を見て行きましょう。JR園部駅を降りて20分ほど歩くと櫓門に到着します。

現在は府立園部高校の正門になっている櫓門。なんと贅沢な高校生なんでしょうか (笑)

櫓門を内側から見た写真。現存する建物は、他に番所と巽櫓(たつみやぐら)があります。

巽櫓です。残念ながら内には入れないのですが、小規模なのに1階の周囲に武者走りがあり、2階は鉄砲や弓矢が扱えないほど梁が低く、寺院建築のように軒がとても長かったりと、実際の戦はあまり考えられていない設計だそうです。

園部高校の隣には天守を模した南丹市国際交流会館もあります。お城が欲しいと言う気持ちは現在の園部の人々にも受け継がれているようです。隣に文化博物館があり、丹波の中世山城や園部城に関する情報が見れますので、是非入って見てみましょう。

絵図が展示されていました。興味深いのは、背後の小麦山に3重櫓(≒天守)まで建てられた事です。江戸時代ですら山城は廃れ平城化しているのに、明治になっても詰めの城を建てる意気込みは本当に凄いです。奇しくも同時期にドイツで建てられた中世のお城ノイシュバンシュタイン城と似たものを感じます。

ちなみに色々と調べると明治2年(1869年)着工のお城は、他にも松尾城(千葉県にあった西洋城郭)や旭城(福岡県)もあるので、今後はこの2城にも行って本当に最後のお城はどれなのか、調べてみたいと思いました。

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(左から)現存の2重櫓・番所・櫓門のある園部高校

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