200名城と古戦場ベスト5

皆さん、こんにちは。今日は200名城と関係のある古戦場ベスト5をご紹介したいと思います。今回選ぶにあたり籠城戦ではなく、野戦の古戦場を選びました。また一部200名城じゃないお城も出てきます。では早速行ってみましょう。

5位 小牧・長久手の戦い X 岩崎城、小牧山城 (続100名城、愛知県)

長久手古戦場公園:リニモ長久手古戦場駅徒歩3分

岩崎城:名古屋市営地下鉄、赤池駅バス15分、御岳口下車徒歩3分

小牧山城:名鉄小牧駅バス10分

織田信長が討たれた本能寺の変(1582年)の2年後に起こった、豊臣秀吉 X 徳川家康の天下人争いの戦です。この戦、お互いにらみ合いの期間が長いのですが、唯一直接対決があった長久手古戦場と岩崎城にその跡を見る事ができます。膠着状態を打破するため豊臣方池田恒興が徳川方丹羽氏留守番が守る岩崎城を落とした後、長久手にて徳川本隊と戦になり、結局池田恒興親子と森長可はここで命を落とします。ですので長久手古戦場公園には池田恒興の塚が残っています。この局地戦で徳川勢が勝ったのですが、戦全体では豊臣勢勝利のため、この戦い自体がなんだか分かりにくいんですね。でも岩崎城に行けば、戦いの全容が分かる動画や展示があるのでおススメです。そしてもう一つの舞台、小牧山城には8カ月の戦の間、犬山城を拠点としていた豊臣勢の南下を防ぐのが目的で、徳川勢が立て籠もっていました。

地形を再現した古戦場公園 (長久手市)
池田恒興に攻められ落城した徳川方丹羽氏の岩崎城 (日進市)
岩崎城公式ウェブサイト http://www.mf.ccnw.ne.jp/iwasakijo/
徳川の拠点だった小牧山城 (小牧市)

4位 桶狭間の戦い

桶狭間古戦場伝説地 (愛知県豊明市):名鉄中京競馬場前駅徒歩3分 

https://welcome-toyoake.jp/spot/okehazama/post_25.html

桶狭間古戦場公園 (愛知県名古屋市):名鉄有松駅徒歩22分

https://www.nagoya-info.jp/spot/detail/244/

織田信長が天下人への階段を上る最初の一歩になった1560年の戦いです。京に上る途中の今川勢の大軍を少数の織田勢が “田楽桶狭間”で破り、大将が野戦で命を落とすと言う非常に珍しい戦です。小さい頃から本やドラマなどを見て、今川の本隊が細長い “狭間=谷” で休んでいた時に少数の織田勢に急襲されたと思っていたため、実際に行ってみると谷ではなく平地だったのが意外でした。しかも今川義元が打ち取られたとされる場所は、現在2か所もあります。一つは愛知県豊明市の公園で、もう一か所は名古屋市緑区の公園です。どちらも「こちらがが本当の場所」と言い張っているため、両方に行くしかありません。桶狭間の戦いが伝えられているイメージと違い広範囲に及んでいたんだ、と言う事は実際に行ってみて感じました。ちなみに古戦場公園最寄り駅「有松」は、江戸時代の東海道の街並みが今も残っていて、ちょっとした散策におススメです。

古戦場公園の信長/義元像 (名古屋市緑区)

3位 長篠・設楽原の戦い X 長篠城 (100名城、愛知県)

長篠城:JR長篠城駅徒歩8分

設楽原古戦場:JR三河東郷駅徒歩15分

織田・徳川連合軍が武田勝頼率いる騎馬隊を鉄砲で打ち破り、当時の戦いの方法を変えたとされる戦いです。学生の時に「ひとこなごな」1575年で暗記したのが懐かしいですね。名前の通り、この戦いの舞台は2か所あり、一つは長篠城の籠城戦です。織田・徳川方の奥平氏500人がこもる長篠城を武田勢1万5,000が包囲し、落城寸前のところで奥平家臣、鳥居強右衛門(すねえもん)が密使として織田・徳川連合軍のいる岡崎城に援軍を求め、長篠城に戻ってくる直前に武田勢に捕まり、籠城する仲間の前で武田方に磔にされながら「あと2、3日すれば援軍が来るので持ちこたえよ」と言って処刑されたストーリーや設楽原の戦いのストーリーが長篠城跡にある資料館で詳しく知ることができます。長篠城は二つの川の合流地点に築かれ、断崖絶壁になっている様子がJR長篠城駅に向かう電車から見れるので、お見逃しなく!そしてもう一つの舞台、設楽原(したらがはら)は長篠城駅から3駅離れた三河東郷駅から歩いて行けます。結局長篠城を落とせなかった武田勢は3,000人を長篠城包囲に残し、12,000の本隊が織田・徳川連合軍の待つ設楽原に向かいます。古戦場に行くと、信長はこの設楽原に土塁や馬防柵を何重にも設け、野戦場にインスタント砦を造った事が分かります。「ここを騎馬隊で破るのは無理だろうなぁ、しかも柵の向こうから鉄砲で撃たれるのだから・・・」と言うのが現場を見た感想です。なので連合軍の圧勝かと思いがちなのですが、戦死者の数を見ると武田勢10,000人に対し連合軍6,000人と、武田の騎馬隊も意地を見せたんだ、と言う事が分かります。正に激戦地です。

南側は川に向かって断崖絶壁、北側は空堀、難攻不落の長篠城
鉄砲三段打ちで有名な柵のある設楽原

2位 川中島の戦い X 松代城 (100名城、長野県)

川中島古戦場:JR長野駅バス20分

松代城:JR長野駅バス30分

長野駅からバスで行くと手前に川中島古戦場、奥に松代城と言う位置関係ですので、先ずは古戦場で降りて見学し、上手い具合にバスがあればバスで、なければ徒歩で松代城まで行くのがおススメです。ちなみに僕は歩きました。武田信玄と上杉謙信が1553年から1564年の11年間4回にわたり、この千曲川流域で戦いを繰り広げたのですが、唯一大規模な戦いとなった第4次合戦が一番有名で、この時にあの伝説の信玄 x 謙信一騎打ちが起こりました。八幡原と呼ばれるその場所に一騎打ちの銅像があり、僕はこれを見たくてここまで来たわけですが、実際目にすると期待通り大迫力の銅像です。でもやっぱり「こんな事、本当に起こったのかなぁ・・・」と言うのが正直な感想でした。古戦場と同じ敷地に長野市立博物館があり、川中島の合戦について動画で説明して貰えるので便利です。合戦当時、松代城は海津城と呼ばれ、武田方の拠点でした。その海津城を見下ろす妻女山を拠点とした謙信が、お城から飯を炊く煙の数がいつもより多いのを見て「敵は明日仕掛けてくる!」と見抜いたとの事で、さすがです。本当は武田勢は別動隊を妻女山の背後から攻めて、山を下りた上杉勢を武田の本隊が巻き取る、いわゆる “キツツキの計” をする予定だったのが、既に謙信に読まれ、上杉勢は夜のうちに山を下りたため、明け方霧が明けた時に武田本隊と正面衝突し、激戦となってしまったんですね。信玄はこの戦いで、最も信頼していた弟の信繁を失います。家中の調整役がいなくなり、この事が後の武田家衰退につながります。

長野市博物館

https://www.city.nagano.nagano.jp/museum/

この銅像、どの角度から見ても大迫力!
武田方最前線の海津城 (現在の松代城)

そして栄えある第1位、戦と言えば誰もが思い浮かぶこの合戦・・・

1位 関ケ原の戦い X 大垣城 (続100名城、岐阜県)

関ケ原古戦場記念館:JR関ケ原駅徒歩10分

https://sekigahara.pref.gifu.lg.jp/

大垣城:JR大垣駅徒歩7分

日本史上最大、東西両軍合わせ15万人が戦った “天下分け目” の関ケ原の戦い (1600年) です。JR関ヶ原駅に東軍 X 西軍それぞれの武将名の看板があり、駅から関ケ原古戦場記念館に行く道にも合戦の経緯を時々刻々と追った説明版が続き、嫌でも気分が上がります。去年2021年夏にオープンした記念館、僕はオープンして直ぐに行きました。前の古い資料館も悪くなかったですが、やはり大迫力の映像で訴えかける今の記念館はイチオシです。更に時間と興味があれば、レンタサイクルで東軍・西軍緒将の陣跡巡りがおススメです。中でも決戦地の石碑、石田三成の笹尾山、黒田長政が合戦の狼煙を上げた岡山烽火場(ほうかじょう)、関ケ原で唯一自害した大谷吉継のお墓などを周ると良いかと思います。もともと三成方西軍は大垣城での籠城戦を想定していましたが、家康が大垣城を素通りする動きをしたため、西軍は関ケ原まで軍勢を移動し、東軍を迎え撃ったのですね。これって関ケ原の戦いをさかのぼる27年前の “三方ヶ原の戦い(1573年)”で、若き家康が老練の信玄に浜松城から三方ヶ原に誘い出されたのと全く同じ手口なんです。やっぱり年の功って大事だなと思わされるストーリーです。

屋上360°ビューで諸将陣地跡が見えます
記念館すぐ横の家康最後陣地跡

さて今回の古戦場ベスト5いかがでしょうか?どうしても歴史上インパクトのある戦いとなると三英傑の関わった戦で愛知近県にかたまりましたが、他にもこんな見ごたえのある古戦場があるよ、と言う方、是非コメントで教えて下さい~

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