200名城武家の館ベスト5

皆さん、こんにちは。今日は200名城の中でも、お城とは違う武家の館ベスト5をご紹介したいと思います。館と言えば中世の武士の住まいと言うイメージで、お城と違いなんだか文化の香りもします。では早速見てみましょう。

5位 武田氏館 (100名城、山梨県)

ガイドブックの案内:JR甲府駅からバス8分武田神社下車すぐ

お城を持たなかった戦国大名として真っ先に思い浮かぶのは、武田信玄ではないでしょうか。「人は堀、人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵なり」と言う言葉からも分かるように、信頼できる家臣団がいれば城はいらない、と言うポリシーなのです。館なので浅い堀と方形の土塁のようなものを想像して実際に行ってみると・・・深い堀と石垣のある神社でした。「堀も石垣もあるし」と思わずつぶやくのですが、武田氏滅亡の後にこのような神社になったんだろうと思います。唯一、神社を真正面に見て右側に、遺構のようなものが残っていますが、もう少し当時の躑躅(つつじ)ヶ崎館を思い起こさせるものが残っていれば嬉しいのですが。神社本殿横に、こじんまりとした宝物殿があり、信玄公直筆の書状、絵画などがありおススメです。

200名城には今は神社となったお城がいくつかあります (山梨県)

4位 上ノ国勝山館 (続100名城、北海道)

ガイドブックの案内:道南いさりび鉄道、木古内駅からバス2回乗り換え

僕が6年に渡る200名城巡りの一番最後に行ったところです。ここも難所ですね、公共交通機関だと行きにくいのとスタンプ設置場所がかなり離れてるので、函館などでレンタカーするのが一番楽かと思います。この館の良さは、遺構が非常に良い状態もしくは非常に再現性が良いところだと思います。歩いているだけであれこれと往時を偲ぶことができます。また海の見える緩やかな斜面に遺構が残っており、海に向かって大通りを歩くのですが、この時の景色の良さには感心します。ガイドブックにも “日本最北に所在する中世城館の縄張りが体感できる” と書いてあります。確かに南と北の端の堀切も分かり易く、更に最も高い南端には八幡宮神社の跡も残っていて、この曲輪の中で人々の生活があったことが想像できるのが良いです。

あれこれ想像を掻き立てられる上ノ国勝山館 (北海道)

3位 根城 (100名城、青森県)

ガイドブックの案内:JR八戸駅からバス15分、下車後徒歩5分

僕は季節の良い7月にここを訪れたので、燦燦と照る太陽のもと一面の緑の芝が青々としていた事が印象に残っています。なんとも広い城内です。その中心に主殿が建っており、中の広間には城主南部一族の正月の儀式が人形で再現されていました。説明書きによると、一族皆が集まる儀式に来なかった一家があり、その後その一家は主家に対し謀反を起こした・・・とのなんとも生々しいストーリーが書かれていました。馬屋や鍛冶工房なども再現されていて、良かったです。お城と違い、そこにいる人たちの日常も感じられるところが武家の館の良いところですね。

立派な主殿が建っていて、中に入ると・・・
南部氏一族の正月儀式の最中でした

2位 大内氏館 (続100名城、山口県)

ガイドブックの案内:JR山口駅から徒歩30分

JR山口駅前にレンタサイクルがありますので、ここは是非レンタサイクルで周りましょう。室町時代に西国の覇者であった大内氏の都だった山口は「西の小京都」の名にふさわしい落ち着いた佇まいの古都です。大内氏館だけでなく、国宝五重の塔で有名な瑠璃光寺やザビエル記念聖堂など見どころ沢山の街なので、レンタサイクルがあればとても便利に周れます。大内氏館にはかつて京の足利将軍邸を真似た方形の館が建っていたらしいのですが、現在は館の門、お寺の本殿、小さな資料館が建っているのみです。室町時代に大いに繁栄した大内氏ですが、戦国の世となり、最盛期の大内義隆の時に家臣の陶(すえ)氏に謀反にあい事実上主従関係が逆転したり(下剋上の世なので仕方ないですね)、更には陶氏を厳島合戦で破った毛利氏が山口に侵攻するに至り、最後の当主である義長はこの館を捨て、最後は自害したそうです。この館は、そんな大内一族の栄枯盛衰を感じさせる場所で、大内義隆の辞世の句 “討つ人も討たるる人も諸ともに” が彫られた石碑が印象的でした。

館の門跡、現在は龍福寺山門

後に毛利隆元が大内義隆を弔うために建立した龍福寺(大内氏館跡)

そして栄えある第1位、この館とかつて栄えた街並みはそこだけ時間が止まったようにひっそりとした場所でした・・・

1位 一乗谷城 (100名城、福井県)

ガイドブックの案内:JR福井駅からバス30分下車すぐ

公式ガイドには”一乗谷城”とありますが、一乗谷朝倉氏館の方がしっくりくると思います。織田信長によって敗れた朝倉氏の都があった場所で、街は信長に焼かれ灰燼と化し長年土の中に眠っていたのですが、1967年に発掘され街ごと再現されたため、かつて都として栄えた一乗谷の人々の暮らしも感じることができます。朝倉氏の館に建物はなく、日本庭園の跡だけが残り、城下町にも街並みがそれなりに再現されていますが、ガランとしてるため、やはり一種のもの悲しさを感じます。(訪れた時期が冬だったため、余計にそう感じたのかもしれません) 優雅な寺院風の門だけが再現されていて、その事もかつてはここに大きな館があったのだろうと想像を掻き立ててくれます。演出が見事です。この一乗谷の街の二つの入り口の一つ “下城戸”は巨岩で作られた虎口になっていて、なかなか圧倒されます。そして掘り起こされた品々は朝倉氏遺跡資料館で見ることができます。歴史的価値が高い遺跡のため、”特別史跡・特別名勝・重要文化財” の国の三重指定を受けているとチケットには書かれていました。

どの季節でも絵になる感じの門です
冬の季節、靄が掛かっていて更に雰囲気がありました

一乗谷朝倉氏遺跡資料館 http://asakura-museum.pref.fukui.lg.jp/

さて今回の武家の館ベスト5いかがでしょうか?今回も僕が勝手に選んだのと、6年間の記憶を思い出しながら書いているため、忘れてしまっている館もあるかもしれません。皆さんのご意見もお聞きしたいので、是非コメントお願いします~

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