じゃない城(31) 時代で変わる2つの 水口城

アクセス :②水口城 : 近江鉄道 水口城南駅から徒歩3分 → ①水口岡山城 : 水口城から徒歩25分で登城口 (* 僕は②→①で周りましたが、もちろん①→②も可能です。①の最寄り駅は 近江鉄道 水口石橋駅、登城口までは徒歩16分)

皆さんこんばんは Okkapiki(おかっぴき)です。今日は滋賀県甲賀市にある水口岡山城と水口城、2つのお城をご紹介します。古い順から言うと、豊臣政権下で造られた山城の水口岡山城が先で、徳川政権下に将軍の宿館として造られた平城の水口城が後になります。

①水口岡山城: 1985年、甲賀五十三家と言われるほど個々に独立分裂していた甲賀の侍衆は秀吉の命により改易処分となり(この出来事は “甲賀ゆれ” と呼ばれます)、臣下の中村一氏が領主として甲賀に入り水口岡山城を築きました。それまで甲賀では土塁のお城しかなく、一氏が築いた石垣の城を見て自らの自治の終焉と新しい支配者の到来を感じたのではないか、と思います。一氏の後、城主は5年おきに増田長盛、長束正家と替わり、1600年 関ヶ原の戦いが勃発。西軍に組した正家は南宮山にて戦わずして敗走、城に戻って籠城後、池田長吉(輝政の弟で鳥取藩初代藩主)らに攻められ自刃、お城も落城しました。

登城口の看板。こんな若いイケメン城主たちだったかどうか?ですが、歴代城主が誰か分かり易くて良いです。

縄張り図、左の西の丸から本丸に向かって登ります。

西の丸からから見た本丸、かなりの高低差があります。

本丸石垣、天正期の石垣ゆえ野面積みですが、隅石は後の慶長期に確立される算木積みの萌芽が見られます。

本丸跡からの景色。麓を走る東海道での敵の動きが手に取るように分かります。

水口岡山城本丸から見た水口城。登城口から徒歩25分くらいの距離です。

②水口城:時は流れ徳川の世となった寛永11年(1634年)、東海道の宿場町である水口に、3代将軍 家光の京都上洛時の宿館として平地に水口城が新築されます。その際30年以上前に廃城となった水口岡山城の石垣が再利用されました。宿館であるため天守は必要なく、二条城を模した御殿が建てられたそうです。その後、幕府城番が置かれ代々管理された水口城でしたが、将軍の宿館として利用されたのは家光の1回きりで、当初の役目を果たさぬまま明治維新を迎えました。

二条城南東隅櫓そっくりな水口城の櫓。建物は現在、資料館となっています。

水口城の作事(建築部分)は、二条城庭園を監督した小堀遠州があたりました。

面白い展示物がありました。400年前のレイピアと呼ばれるヨーロッパ製の洋剣なんですが、柄(つか:手で握る部分)は当時の日本の鍛冶屋が見よう見まねでこしらえたものだそうで、ゆえにこの刀は “水口レイピア” と呼ばれています。

これがたったの一回、将軍家光の宿館として使われた御殿の模型です。

今度は逆に水口城から水口岡山城を見るとこんな感じです。

このように豊臣政権下では山城、徳川政権下で平城と時代によって、場所やその役割を変えた2つの水口城、天正期 → 寛永期と城の変遷が分かるおススメのお城ですので、是非行ってみて下さい。

↓他にお勧めお城ブログはこちらです

お城巡りランキング
お城巡りランキング

開館の30分前に資料館に着いたのですが、特別に開けて貰って嬉しかったです。

コメントを残す

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう